―ハレノチブタ―

豚座34渾身の備忘録。

映画『インターステラー』感想

 近くに新作や准新作、大手シネコンでは上映しないようなマイナー映画を取り扱う映画館があって、たまたまそこで『インターステラ―』を観てきた。たまたま、と言ってもせっかく映画の日だからという気持ちで見に行こうと思ったのであって、全くの偶然ではないのだが。その映画館、キネマ旬報シアター柏という。こじんまりとしていて、とても雰囲気のいい映画館である。

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近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。

 

 この世界で最も発色の難しい色は黒であるらしい、と教えてくれたのは高校の化学の先生だった。小川直也にそっくりな厳つい風貌に似合わず、白衣の似合う謙虚な大人だったのを覚えている。彼はそんな話をしてから、「だから、僕や君たちの頭に載っている髪の毛の色は、とても貴重なものなんだ。それを、簡単に台無しにしちゃダメだよ」と締め括った。科学者らしく、また教師らしかった。その頃から変わらず、僕の頭は黒いままだ。今でも髪を切るときなんかに、いつも先生の言葉を思い出す。

 宇宙といえば、綺羅びやかな星々。雄大を思わせる銀河。様々な”色”を想像させると思う。しかし、その大部分は黒で、かえってその黒色の背景があるからこそ、私達は様々に輝く星を思い描くことが出来る。冷え冷えしていて、どこまでも虚無だから、星の暖かさを感じるのだ。きっと、数多の宇宙飛行士たちが見た地球も、宇宙の黒があったから美しかったのだろう。実際、あのガガーリン少佐も「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた*1という言葉を残している。

 確か、『2001年宇宙の旅』*2の宇宙空間における光源の扱いに言及していた記事があった気がする。地球上と違って、宇宙にはあちらこちらに光源がないから、ライティングが非常に難しいという話だったと思う。これも闇の描き方だ。SFならではの悩みかもしれない。他の作品ならケレン味や劇画調ってことでなんとでもなるし、逆に闇もその表現のために利用されているだろう。考証というポジションがついている作品は難しい。SFなんて、フィクションって言葉がついているのにリアリティーが求められるのだ。僕なら自分の時間をすべて使っても作れないだろう。*3

 

 さて、話を戻そう。本作はその闇の描き方がとても良かった。精緻な画面作りにその思いを感じた。宇宙の闇は、時に果てしないフロンティアを夢想させ、一方絶対的な孤独を感じさせた。特に、ワームホールブラックホールの描写では、その黒がここぞとばかりに威力を発揮していた。SFが好きなくせに、ブラックホールのことは、言葉のイメージ通りの姿しか頭になかった。だからこそ、あの画には衝撃を受けた。”事象の地平線”と称される姿は、まさに神の座を思わせた。黒い穴ではないのだ。捩じ切られ行き場を失った光が、頭を垂れているようだと思った。

 それは、見果てぬ希望と同時に、行方知らずの船旅の不安を与える光景だった。旧世界の船乗りは、きっとこんな気持ちだったのだろう。世界はかつて、人々にとってそれこそこんな姿に映っていたはずだ。そんな考えを主人公たちに重ねた。考証重ねられたSF描写よりも、親と子の時空を超えた愛の物語よりも、宇宙を旅する船乗りたちの姿が印象的だった。そこにはきっと、どこまでも続く宇宙の黒があったから。明暗を丁寧に描いていたから、観る人にそんな気持ちを与えるのだと僕は思う。闇を描けよクリエイター。それこそ、神話の時代から続く、物語を紡ぐ者の宿命である。

 

 

 

 ところで話は全く変わるけど、主人公の娘役の娘(もちろん子供時代)がめちゃんこ可愛かった。顔というか、仕草とか演技が。泣いているところも、拗ねているところも、喜んでいるところも全部良かった。そればっか見てて、前半の重力の伏線の件とか思考が止まってた。(というか、あれ伏線って言えるのか?)

 この娘、マッケンジー・フォイ*4ちゃんって言うらしい。フォイってなんだよ。最高かよ。

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 はああああああああああああああああああああああああ~~!!!????

 

 最高かよ。父性を感じる。マシュー・マコノヒーになりたい。その場合、宇宙には行かないけどな。人類とかどうでもいいじゃん。滅べよ。砂でも食ってろハゲって思う。アン・ハサウェイも好きだけど。『プラダを着た悪魔』の頃のアン・ハサウェイだったらわからなかったけど。つまりさ、マッケンジー・フォイちゃん最高フォイってこと。宇宙の真理フォイ。マッケンジー・フォイちゃん可愛い。

 

 

 余談ついでに結末部にも触れておく。正直、怒涛の伏線回収!! とかいうどっかの前振りがいけないと思うけど、最後の方は「マジかよ」の連続で逆に笑えた。笑う場面じゃないのにな。でもまあ、結局「親子の愛は時空を超える」から。もうそれで話はおしまい。オールオッケーなのだ。正直、あんな可愛い娘のためだったら、パパは時空だって宇宙空間だって超えちゃうでしょって話。キャストの演技も良かったし、画面作りは申し分なかったし、良い映画だ。

 ただ、最近の映画全般に言えることだけど、やっぱ3時間近くなると長いなって感じる。集中力も限界を迎えてくる。やっぱり1時間半くらいがちょうどいい。人間の集中力って一時間半が限界と聞く。DVDなら一時停止できても、映画館じゃそうはいかない。あとね、下世話な話だけど膀胱も限界だよね。余計集中力が乱れるって話だ。無職の豚は、いつも上映三十分前から何も口にしないというストイックさで挑んでいる。それでも、いつも映画の余韻はトイレで浸ることになる。悲しいかな。感動より排泄が優先なのだ。

 

 なんか本当に下世話な話になってしまった。というわけで、『インターステラー』の感想でした。

*1:地球は青かった」という言葉が先行しているが、原文通りなら少佐は宇宙の黒に注目している。また「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」という新聞記事が変化して伝わったという説もあるらしい。科学の粋を集めて送られた人間の言葉にしてはあまりにもロマンチックだ。表現としてはとても好きだけど。

*2:宇宙飛行士デイブと人工知能ハルが登場するSF作品。有名作だけど、ちょっと眠くなるよね。

*3:まあ、物語は一つの例外もなくフィクションであるという話は置いておく。結局、リアルあってこそフィクションなのだ。現実感は土台みたいなもので、フィクションなんてその上にだけ聳えることの許された砂上の楼閣だ。結局土台があまりにも歪なら、うわものは音もなく崩れ去る。

*4:14歳。『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーンpart2』ではゴールデンラズベリー賞の最低スクリーン・カップル賞に選ばれたらしい。すげぇ賞もあったもんだ。